げーみふぃけーしょん 1
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ゲーミフィケーションについて考えたい
2つほど感じることがある
1つはその言葉自体が指すゲームに関するもので、もう一つは用いられる姿勢に関してだ
今回は1つ目に関して考えてみる
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ゲーミフィケーションはゲームをつくることとは当然違う
これはだいたいみんなが理解していることだろう
ある目的を達成する上でゲームのデザインを利用することをゲーミフィケーションと呼んでいるようだ
ここでゲームのデザインを使うと言ってもアナログゲームやディジタルゲームによって違うだろうし、
ゲームをデザインする上での技法ではなく、ゲーム(いわゆるディジタルゲーム)の真似をすることを指しているのかもしれない
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ゲームについて考える上でルールズ・オブ・プレイを参考にし、その立ち位置で見てみると
ゲームが成立する上で必要なものとしてゲームに参加して遊んでみようとする気持ちがあげられる
これとルールによって意味のある遊びが生まれる
しかし、ゲーミフィケーションが用いられようとする対象はおそらく別の目的がある
そのような状態では遊びが生まれることがあっても、ゲームが成立を目指すことは難しいのではないだろうか
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ゲーミフィケーションされていると呼ばれるものに触れたときに感じる差異はなんだろうか
あるものは面白く、あるものはつまらなく感じるのはどこから来ているのか
ゲームとして成立していない状態で、ゲームのゴールを目指す行為を前提としたシステム設計は少なくとも悪く感じられる
ゲームでなくとも”遊び”は行われる
ゲーミフィケーションとの中で行われるべきは"遊び"をユーザーが見出せることでゲームの実装ではないと思う
etc
あるシステムの中にゲームが見つけられることがあるかも知れない
shooting starというtwitter clientが昔存在していたが
それについて考えると
shooting starを使うという行為が魔法円を形成しており、レベルという定量化された指標に対してユーザーが競いその中に意味ある遊びが存在している
面白い例である
JesterとしてのUX
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近年、雑に扱われているUXという言葉がある。特にICTサービスにおいて
とはいえUXが何であるかを一人で議論し始めるほどUXについて研究が進んでいるわけではないので、 国際規格としてのISOを踏まえつつ今回のUXという言葉としていきたい
ちなみに、ISOには
a person’s perceptions and responses that result from the use or anticipated use of a product, system or service
となっている
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上の言葉がどれほど意味があるかわからないが、UXはソフトを使った(使おうとした)結果の人間の知覚と反応らしい
もしかしたら知覚ではなく認知という可能性もあるがこだわらずに知覚としておこう
知覚と反応、「殴られたら痛かったので身をすくめた」とか「寒かったので震えた」とか思考を介在することなく生まれたものだ
雑に言ってしまえばUXは興奮と勃起だ
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よくこのアプリのUXが良いとか悪いとか雑談する
ただ、何故良くないとか、何故悪いとかの議論は無駄だ
自分の感情にあとから理由付けをしても、自分を納得させたいからしているように感じる
また、自分で考えた理由がバイアスになって次に生まれうる感情の邪魔をする
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「数字が良い」ならば「UXが良い」
本当だろうか
この”数字”にユーザーの知覚と反応をはかろうとしたものではなくビジネス上のKPIを使っていては
いつまでたってもユーザーが感じていることを測ることもできない
そもそもユーザーがどういう感情を持って欲しいかも考えられておらず測る気がないのかもしれない
Human Centeredではなく Business Centered
ユーザーがそもそも必要としていないものを誤魔化して押し付ける行為をUX改善と呼んでいる限り
あなた専属のUXという名の道化師はユーザーを笑わせることはない
始める
ブログを始める
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4/1に始めるのは不吉だったので今日にする
高校時代はブログを3日に一度書いていたが大学時代に徐々に減ってやめてしまった
やめた理由を今更思い出しても意味が無いかもしれない
けれども思い返すのもおもしろい
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一度継続していたものが途中で切れると縁遠くなる、これは安易な理由付けだが色々と当てはまることが多い
継続していたものが最後の方は義務感で続けていた、となるとそれはまぁ当たり前のように感じるかもしれないが
そうでなく楽しんでやっていたものまで一度途切れてしまうとなかなか続けていけないものもある
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ダーツをやっていた
大学院を休学するころからだろうか
2年と少し
だいぶやったおかげで2回に1回以上入るぐらいにはなった
アレは入る入らないは大事ではなかった
「こうやったら」「ああやったら」で入る入らないが決まるわけでもなく
自分とボードがダーツでつながっている気持ち
つまりは、ボードと自分の間は川のようなもので死んだ世界と現世がどうつながるかをダーツが決めているような
例えば手を振って5m先や1000km先に介在しようとするのかさせられているのかは分からないが、そのような縁を運んでくれていた
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何かしら長く関わる期間が長いほど見えてくるものは多い
ネガティブ/ポジティブの波も大きく
それは飽くまで波であって何処かに落ち着くものでもない
継続していてもふと乗り損ねた波をみて大きさに怖くなってしまうこと
やめる一因になりかねない