Netflix in train
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ここ最近は電車の中でnetflixを見ることで、生活の質を上げる行為に励んでいる。
いままで電車のなかではrssを消化するだけだったが、日常生活に映像作品が紛れ込むことは思っていたよりも発見にあふれていた。
しかし、イヤホンを定常的に持ち歩く健常性を発揮できない人種にとっては三割ぐらいの確率でnetflixを見ることができないのである。 こうしてブログが書かれる。
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最近見ているのは i am a killerという作品で、
死刑囚(厳密には第一級殺人の罪に認定された人)へのインタビューとその裁判や関係者にフォーカスしたドキュメンタリである。
回によってコンセプトが違うが、おおよそは死刑囚へのインタビューから始まり担当検事、死刑囚の家族や被害者の家族へ、90日後(法制度の都合っぽい)再び死刑囚に、といった構成が多い。
再現ドラマが少ないのはいい点で、再現ドラマは一方的な事実認定をしてしまうつまらなさがある。ドキュメンタリではやめて欲しい。
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犯罪関係のドキュメンタリは良く見るのだが、当然、日本とアメリカ(各州)でかなり法制度が違う。
陪審員制度、裁判の進行、死刑に対する基準、死刑制度の有無。
この作品を見た場合、そういった発見や驚きは当然出てくる。
州や時代が違ったりはするので一概には言えないけど、裁判上の人種差別や検察側の不正があるように思えたりもする。
だけど注目するのはそこではなく、犯人の生まれて事件がおきて現在までを偏見なく見ることであるように思える。
この作品は死刑制度に対して何かしらのスタンスを表明するものではなく、第一級殺人に相当する刑罰としての死刑に向き合うものである。
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作中で出てくる死刑となる基準に、「社会にとって危険であるか」がある。
おおよそこの点を軸に作中では事件に向き合うことになるが、それは本当に事件という一つの"点"でわかるものなのだろうか。
日本だと永山基準があるだろうが、アメリカ(各州)の場合、裁判官ではなく陪審員に対するものである。
そういった環境だからこそ作られた作品でもある。