VRに関して話したメモ

takanarisunと小一時間話した。

空間はどうあるべきか

VRは決められた箱の空間、100あるうちのどれだけ楽しめるか

VR空間上にわざわざ魔法陣をつくってまでゲームを成立させる必要がるのか

そもそも閉じた世界に更に閉じた世界を作ろうとしている?

TRPGと比べると、

口頭で作れる、空間はどこまでも広がる、各個人の想像をリアルな場で共有している

takanarisun体験の話

バイオハザードのVRを体験した結果、ゲーム中の体の動きの視点移動とリンクしていて”キャラになってる感”が強かった

前提としてゲームにおいて自己があってそのキャラを区別、明確に区別している

ところが、VRで区別できない感じがした

ゲームの中との区別がつかなくなった時、それは遊びなのか

ダメージを受けたり死んで初めてその世界がゲームかどうかわかると言うのは

小説のクラインの壺だな、という話をした

分類の話

ロジェ・カイヨワの4分類(ごっこ、運、闘争、めまい)から考えてみる。

バイオハザードは本来、ごっことめまいの性質を持つ

ただVRによってごっこ遊びではなくなるのではないか

プレイしている人が安心できないならロールプレイにならないのでは?

考えたこと

VRは視覚インターフェースが近づいただけとも言える。 現実世界を認知する手段を何に頼っているか、視覚に頼っている人はわからなくなる 視覚がない人は世界はどう見えているのだろうか。

リクルートを退職した

退職 is 離苦route

自分はこのブログで書かれているチームにいた。(ちなみに、このブログに書かれていることはすべて事実だ) いわゆる威圧されている側である

remember.fornothing.net

自分も疲れたのでやめた。普通に考えて、こういうことが起こる環境で働くのは厳しい。

リファラルで採用!」みたいな感じで人の紹介を依頼されても、上のように優秀な人間からやめていく環境を紹介できるわけがない。 そう思うとモチベーションは下がる。

どうすれば良かったを論じても結果論にしかならないので、学べたことを書くしかない。

心理的安全性

まず第一に心理的安全性を確保できないのは危険だ。 こんなこと当たり前のように思えるけど意外とできてないし、 そもそも肉体的な安全すら確保できてない企業も多そう。

KPTと呼ばれるKeep(続ける良いこと)Problem(置きてる問題)Try(今後改善する対応)を話し合うミーティングがあるが、 心理的安全性がない状態でKPTはやるだけ無駄だ。問題を問題と認知できない状態では、問題は出てこないし探せない。

チームを大きくしない

チームの人数が多ければ多いほど、人同士の問題が起きやすく解決しにくなる

あと人数が多いとミーティングに意味があるかどうかに関わらず無駄に感じる

マイナスを押し付けない

何か辛いことがあって、「辛い」という事実は積極的にチーム内で共有したら良いと思う(できる環境であれば) ただイライラしているのをそのままチーム内の人間に態度や言動で示すのは不毛だ。 怒鳴ることやイライラした態度を取ることがチーム内に価値をもたらすことはない

チームにならないならチーム開発しない

働く環境に興味がなく、一緒に働いている人に対して尊敬できない人と一緒に働くことは難しい

一番能力が低い人(特定の人のレビューしない人とか)によって開発速度が下げられる環境でチーム開発を続ける意味がない 特にエンジニアであればフリーランスという選択肢もある。 誰かと働くことに価値を認める人が誰かと働けばいい

離苦

そういえば入社前、投資家の人に「リクルートは3ヶ月で辞めろ」というアドバイスを貰っていたがなんだかんだ14ヶ月ぐらいいた。

投資家は先見の明がある

amzn.asia

ビデオゲームでの対人戦少考

1

ビデオゲームを介してプレイヤー同士が対戦する時、どのような意味のある遊びが起きるだろうか

”自動でゲームが進行していく”というルールは、実現することがビデオゲームにとっては簡単でアナログゲームでは難しい

2つ意味合いがあってプレイヤーが何もしなくても状況が変わってくということでもあるし、プレイに順番や切れ目がなく連続して行われるということでもある 

これらを備えたゲームの対人戦について考察してみる。

2

ところでこのルールは対戦において何をもたらすのか   プレイヤーは時間という制約を強く課される。全く操作しなければ負けるのは当然として、操作することの速さや判断の速さ、時間に制約されたものが強く勝敗に影響する。

ゼロコンマ何秒で刻々と変化する状況に合わせて、素早く判断し適切な操作をゲームが終わるまで続けなければ勝つことができない。

3

こう書いてみるとかなり複雑なことをしているように思えるが、おそらくビデオゲームをしている本人はそう感じていない

それはどんなに複雑な状態でも勝つための条件が非常にわかりやすいからだ。ゲームによってゴールは違うが、相手のHPを削るとか相手より早くゴールするとか基本的に常にわかりやすい形で明記されている。

そしてプレイヤーは勝つためにどうすればいいか考えてプレイする。このプレイという1つの行動は人間の能力の都合上、ゼロコンマ何秒に区切ることができないだろう

つまり、どんなにリアルタイムでゲームが進もうがプレイヤーは自分のリズムでプレイしてそれを楽しんでいる

4

最後にいままでプレイとして扱ってきた1つの行為を分解して考えてみる。 

このプレイというものはプレイヤーがゲームに勝とうとした結果選択する行為であるが、ビデオゲームの特性によってかなり異なるものとなる

2つに分けれるように思える

  • 操作技術や反射神経、相手の行動予測などを伴い非常に短い時間で行うもの。

  • 現在置かれている状態を認識し、勝つために次の動きを考え選択するという行為。その行為自体は難しくない。

前者の集まりが後者の選択肢になるのかもしれないし、ただそうならないゲームもあるだろう。

これらの違いはほとんど感覚なので、明確にわけれるものではないかもしれないが、今後もう少し分けてみたい

ただ、

戦略や戦術、作戦とかそういう言葉にしてしまうのは少し"遊び"が足りない

 

  

げーみふぃけーしょん 1

1

ゲーミフィケーションについて考えたい

2つほど感じることがある

1つはその言葉自体が指すゲームに関するもので、もう一つは用いられる姿勢に関してだ

今回は1つ目に関して考えてみる

2

ゲーミフィケーションはゲームをつくることとは当然違う

これはだいたいみんなが理解していることだろう

ある目的を達成する上でゲームのデザインを利用することをゲーミフィケーションと呼んでいるようだ

ここでゲームのデザインを使うと言ってもアナログゲームやディジタルゲームによって違うだろうし、

ゲームをデザインする上での技法ではなく、ゲーム(いわゆるディジタルゲーム)の真似をすることを指しているのかもしれない

3

ゲームについて考える上でルールズ・オブ・プレイを参考にし、その立ち位置で見てみると

ゲームが成立する上で必要なものとしてゲームに参加して遊んでみようとする気持ちがあげられる

これとルールによって意味のある遊びが生まれる

しかし、ゲーミフィケーションが用いられようとする対象はおそらく別の目的がある

そのような状態では遊びが生まれることがあっても、ゲームが成立を目指すことは難しいのではないだろうか

4

ゲーミフィケーションされていると呼ばれるものに触れたときに感じる差異はなんだろうか

あるものは面白く、あるものはつまらなく感じるのはどこから来ているのか

ゲームとして成立していない状態で、ゲームのゴールを目指す行為を前提としたシステム設計は少なくとも悪く感じられる

ゲームでなくとも”遊び”は行われる

ゲーミフィケーションとの中で行われるべきは"遊び"をユーザーが見出せることでゲームの実装ではないと思う

etc

あるシステムの中にゲームが見つけられることがあるかも知れない

shooting starというtwitter clientが昔存在していたが

それについて考えると

shooting starを使うという行為が魔法円を形成しており、レベルという定量化された指標に対してユーザーが競いその中に意味ある遊びが存在している

面白い例である

JesterとしてのUX

1

近年、雑に扱われているUXという言葉がある。特にICTサービスにおいて

とはいえUXが何であるかを一人で議論し始めるほどUXについて研究が進んでいるわけではないので、 国際規格としてのISOを踏まえつつ今回のUXという言葉としていきたい

ちなみに、ISOには

a person’s perceptions and responses that result from the use or anticipated use of a product, system or service

となっている

2

上の言葉がどれほど意味があるかわからないが、UXはソフトを使った(使おうとした)結果の人間の知覚と反応らしい

もしかしたら知覚ではなく認知という可能性もあるがこだわらずに知覚としておこう

知覚と反応、「殴られたら痛かったので身をすくめた」とか「寒かったので震えた」とか思考を介在することなく生まれたものだ

雑に言ってしまえばUXは興奮と勃起だ

3

よくこのアプリのUXが良いとか悪いとか雑談する

ただ、何故良くないとか、何故悪いとかの議論は無駄だ

自分の感情にあとから理由付けをしても、自分を納得させたいからしているように感じる

また、自分で考えた理由がバイアスになって次に生まれうる感情の邪魔をする

4

「数字が良い」ならば「UXが良い」

本当だろうか

この”数字”にユーザーの知覚と反応をはかろうとしたものではなくビジネス上のKPIを使っていては

いつまでたってもユーザーが感じていることを測ることもできない

そもそもユーザーがどういう感情を持って欲しいかも考えられておらず測る気がないのかもしれない

Human Centeredではなく Business Centered

ユーザーがそもそも必要としていないものを誤魔化して押し付ける行為をUX改善と呼んでいる限り

あなた専属のUXという名の道化師はユーザーを笑わせることはない

始める

ブログを始める

1

4/1に始めるのは不吉だったので今日にする

高校時代はブログを3日に一度書いていたが大学時代に徐々に減ってやめてしまった

やめた理由を今更思い出しても意味が無いかもしれない

けれども思い返すのもおもしろい

2

一度継続していたものが途中で切れると縁遠くなる、これは安易な理由付けだが色々と当てはまることが多い

継続していたものが最後の方は義務感で続けていた、となるとそれはまぁ当たり前のように感じるかもしれないが

そうでなく楽しんでやっていたものまで一度途切れてしまうとなかなか続けていけないものもある

3

ダーツをやっていた

大学院を休学するころからだろうか

2年と少し

だいぶやったおかげで2回に1回以上入るぐらいにはなった

アレは入る入らないは大事ではなかった

「こうやったら」「ああやったら」で入る入らないが決まるわけでもなく

自分とボードがダーツでつながっている気持ち

つまりは、ボードと自分の間は川のようなもので死んだ世界と現世がどうつながるかをダーツが決めているような

例えば手を振って5m先や1000km先に介在しようとするのかさせられているのかは分からないが、そのような縁を運んでくれていた

4

何かしら長く関わる期間が長いほど見えてくるものは多い

ネガティブ/ポジティブの波も大きく

それは飽くまで波であって何処かに落ち着くものでもない

継続していてもふと乗り損ねた波をみて大きさに怖くなってしまうこと

やめる一因になりかねない